【本】静かに座っていること/宇野維正『小沢健二の帰還』

タイトル:小沢健二の帰還
著者:宇野維正
出版社:岩波書店
読書した日:20171230ー20180102
 
 
この本は、小沢健二が日本での音楽活動を突然やめてしまった1998年から、19年ぶりにシングルを発売する2017年までの「空白の時期」について書かれた本である。記述は、マスメディア、ホームページなど、オフィシャルに公開された小沢健二の活動・本人の言葉がベースになっており、著者はあくまで客観的な事実から分かることだけを記述している。僕は同じオザケンファンとして、著者自身の思い入れを排除するために払われたであろう、著者の苦心に思いを馳せながら読んだ。
オザケンの熱心なファンにはよくわかることだろうが、オザケンに関して、思い入れを排して語ることはとても難しい。
小沢健二は誰にとっても『特別』なのだ」

london-calling.hatenadiary.jp

 
僕は、ファンとして、オザケンのキャリアについて当然わかっていたつもりだった。けれどこの本を読んで初めて、オザケンという人がどのように考え、どのようなみちのりを辿ってきたのか、客観的に知ることができたと感じた。誰にとっても「特別」であり続けてきたオザケンについて、客観的な事実だけをベースに書かれたこの本は、ほんとうに貴重な一冊だ。
 
さて、本書を読めば当然分かる(著者も述べる通り)ことなのだが、本書の帯にも書かれている「空白の時期」という言葉には語弊がある。実際には19年の間にも、数枚のアルバムを出したり、2010年にはライブをやったり、映画の上映会をやってみたり、オザケンは本当にいろいろな活動をしていた。ただその活動の仕方が、他の有名ミュージシャンがやるような仕方とあまりに違ったので、周りから見れば、オザケンが表舞台からフェードアウトしたように見えたのだった。
 
マイペース、と言ってしまうとあまりにもチープなのだけど、この本で詳述されているオザケンの19年間は徹底して、驚異的なほどマイペースだ。オザケンは、自身の文章・自身が配信したUstreamの番組内で、次のように語っている。
 
 (P125、126)
  • 人それぞれ、生きるペースってあるじゃないですか…みんな生きる上で問題に直面した時に、それを解こうとするのだけど、人によって問題を解くのにかかる時間は違うし、問題そのものも違う、というか
  • 学校じゃなくて日常生活では、みんなそれぞれ違う問題にぶち当たって、それぞれのやり方でその問題を解いていく、と
  • 誰かが十年くらいかけて何か問題を解いたとして、その問題は、他の誰かは一ヶ月とか一年で解く問題なのかもしれない。あるいは、他の誰かは一生解かない問題なのかもしれない。そういう風に、本当はみんなに、いろんな生き方とか、生きる速度があるわけで。

 

(P.152)
クラシック音楽の曲で、ピアニストがピアノの前に座って、ピアノを空けて、でもピアノを弾かないで四分三三秒のあいだ、静かに座っているという曲があります。僕の場合も、そんな感じがあります。四分三三秒ではなくて十数年になるのですが、僕と音楽の関係は、ピアノを開けて弾かないで座っているピアニストとちょっと似ているのかもしれません。

 

僕らの目には、何もしていないように映った期間でも、オザケンは、他人には見えない/聞こえない仕方で、彼なりのやり方で、音楽を奏でていた。他人には止まっているように見えるけれど、本人はずっと何かをし続けている。それは、誰の目から見てもわかるように行動し続けるよりも遥かに難しいことなんじゃないだろうか。
(P.152)
一九九七年頃の僕にとって、一番簡単なことはCDを出し続けることでした…そのまま一〇枚ぐらいまぁまぁのアルバムを出したり、他の人のプロデュースをすることは一番楽にできることでした
 
二〇一二年、突然再開したライブを行うモチベーションについては、こう語っている。
(P.150)
それで今は、そのよく知っている場所で、よく知っている歌を、一語一語歌って、一つ一つ確かめたいとというか。
 
誰かに勧められたからとか、強制されたとか、他の人もやっているからとか、お金のためとか、名声のためとか、ファンのためとか、社会のためとか、そんな「分かりやすい」動機ではない。オザケンは、自分自身で「確かめたい」がために、再びステージに上がったのだった。拍子抜けするほど正直で素朴で、だからこそ、他人からは理解できない動機。自分の外にある価値を信じる奴隷道徳ではなく、自分の内にある価値だけを信じて行動する貴族道徳(ニーチェ)。
 
きっと誰しもが「ピアノを開けて弾かないで座っている」時間を持っている。その時間は、僕にとっては一分かもしれないし、別の誰かにとっては一〇年かもしれない。それは他人からは見えないし、分からない。だからその時間は、誰にも邪魔することはできない。邪魔をさせるべきではない。
 
追い立てられ急かされ、常に成果を要求され続ける日々にあっても、「静かに座っている」時間を、大切にしていきたい。
 
 
僕自身もこんな風に、小沢健二のキャリアと自分の人生とオーバーラップさせてしまう。
小沢健二は、僕にとってもまた「特別」だということなのだけれども。